記念すべきブログ一発目の記事は、中学受験に対するポリシーについて掘り下げたい。
結論、タイトル通り「最初から撤退ありき」ということだ。中学受験からの撤退という選択肢を、このブログでは隠さない。むしろ最初から堂々と選択肢の一つとして持っておく。
そして、このブログがいつか終着点に達したとき、結末がどうであれ本人たちへのプレゼントとして投げつけようと思う。
また、私は毎日YouTubeや書籍で子育ての情報収集が趣味になっている。
頭でっかちな知識が、同じように中学受験を考えている家庭に少しでも還元できればと思っている。
なぜ中学受験を考えたか
理由は2つ
1つ目:双子だったから
まさか自分の人生で双子を授かるとは微塵も想像していなかった。双子じゃなかったら、ここまで真剣に「教育」に対して向き合っていなかっただろう。さらに、調べていくうちに、元東大王の鈴木光さんやローランドさん、橋本環奈さんといった著名人も双子だと知った。
そんなことを知ってしまったら、双子である我が家も何かしらの可能性を感じずにはいられない。
2つ目:YouTubeに影響されたから
頭が良ければ何とでもつぶしがきくだとか、子どもに合った環境を用意したいとか、そんな綺麗事ではない。単純にYouTubeに影響されたから。
ただ、これでは誤解を招くので一応断っておくと、受験の専門家や塾講師、子育てに何かしらの信念を持つ発信者といったYouTubeを数多く見てきた。それらを通して、子供にしてあげられる選択肢は無数にあるんだということを学ばせてもらった。
情報バイアスは否めないが「影響」を受けるきっかけにはなっている。
一方で、中学受験は生半可なものじゃないということも知った。
中学受験が奪っているもの
ここから先は中学受験経験がなく、中学受験のスタートラインにも立っていない双子(現4歳)をもつ私が独自の戯言を好き勝手言っている。
もし、中学受験を乗り越えてきた方あるいは今現在戦っている人が閲覧したらいやな気持ちになるかもしれない。できれば寛大な精神で閲覧してくれたらうれしい。
まず、10歳前後の子どもに大事なのは、友達と遊ぶ時間だと思っている。
自分の子供時代を振り返ると、学校の授業より友達と遊んだ記憶の方がよっぽど鮮明に残っている。
ランドセルを家に放り投げ、友達とスマブラやエアライドをした記憶しかない。
しかも、その頃の友達とは結婚式のスピーチを頼むレベルの関係が続いている。
高校や大学でできた友達ももちろん大事だが、子供時代の友達はたとえ会えなくてもいつでも連絡できる安心感がある。
そんな貴重な時間を受験勉強に割くのは、親のエゴでは?
もちろん、子供時代を適当に過ごし、何も残らないのもそれはそれで違う。
遊びも勉強も子どもには大事な要素で、本来はバランスの話だ。
ただ、受験というのはどちらかしか選べないことが多い。
当然、受験を選べば友達と過ごす時間はその分削られる。
リソースは有限で、その時間は二度と戻ってこない。 だからこそ受験を選ぶなら、せめて親として
「子どもの可処分時間を奪っている」という自覚だけは持っておきたい。
受験するからこそ得られる友情もある?
とはいえ、遊びが大事という自分の意見に対する反論にもちゃんと向き合っておこう。
例えば、同じ環境で頑張っている子と出会った場合、ただ遊ぶ関係より、よっぽど深い絆で結ばれる可能性は十分にある。
さらに、一緒に苦しい時期を乗り越えた仲間というのは、後々振り返ったときに特別な存在になりやすいものだし、中学受験をする子とつながりがあるのは大人になったとき有利に進みそうである。
……確かに、もっともな意見だ。
ただ、受験を通じて得られる友情があるのは事実だとしても、それは「友達と自由に遊ぶ時間」の代わりに手に入るものであって、失っているものがゼロになるわけじゃない。
繰り返すが、「受験でも良い友達はできる」という理想論を、「子供の可処分時間を奪っている自覚を薄める理由にはしない」ことは心得ておきたい。
撤退という選択肢は常に持っておく
貴重な子供時代を受験に割く以上、それが双子達にとって本当に意味ある時間であってほしい。
もし途中で子どもが「もう嫌だ」ってなったとき、あるいは親から見ても明らかに苦しそうにしているとき、それでも最後まで走らせるのが正しいとは私にはどうしても思えない。
だから撤退という選択肢は、最初から持っておく。 本気で向き合うからこそ、途中でブレーキを踏む判断は親が引き受けたいと思っている。(迫られたときにちゃんとその判断ができるかわからないが…)
撤退基準
今の時点で撤退基準として意識しているのは、こんなところだ。
①子ども自身が「もうやめたい」と、はっきり口にしたとき
②勉強のせいで友達と過ごす時間や家族の時間が、明らかに犠牲になりすぎていると感じたとき
③子どもが受験そのものよりも「親をがっかりさせたくない」という理由で頑張ろうとし始めたとき
④塾に入れて6年生になるまでの間、学力の伸びも受験成功の可能性もまったく見えてこなかったとき
まだ受験をスタートしていない段階での基準なので、今後変わっていく可能性は十分にある。
それでもこうして言葉にしておくことで、いざというときに感情だけで判断せずに済むと思っている。
撤退は負けではない
ただ、撤退したからといって、子どもが負けたわけではないことは強調しておきたい。
受験は非情にも白黒はっきり結果が出る。だからこそ、途中でやめることが「逃げ」とか「負け」に見えやすい。
撤退は、子ども自身の価値や頑張りを否定するものでは決してない。むしろ、しんどい状況の中で「これ以上は違う」と判断して方向転換できることのほうが、大人になってからよほど大事な力になると思っている。
だからもし撤退することがあっても、それは家族にとっての失敗ではなく、その時点で最善の判断をしただけという話にしたい。
これから書いていくこと
こうした前提を踏まえたうえで、私なりの考え方や、日々の成長記録を更新していこうと思う。
これから書いていくすべての記事の裏には、この「いつでも撤退」というスタンスがあるんだということを頭の片隅に置いてもらえたら嬉しい。
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